藤本洋
"歌劇「沖縄」第2次全国公演・成功をささえた人びと"
(「赤旗」1972年7月3日付 第7面より抜粋)
歌劇「沖縄」第2次全国公演は、6月15日、東京渋谷公会堂で満員の聴衆の熱気あふれる拍手と声援のうちに幕を閉じた。
今回の第2次公演は、北は帯広から南は長崎にいたる全国26都市で行われたが、どの会場も舞台と聴衆が一つにとけ合い、割れんばかりの拍手の中で公演が行なわれ、その聴衆は5万4千人を越えている。
この数は、一昨年行われた 第1次公演 の1回あたり200人を上回る数であり、一般的には再演が大変困難な状況の中では一つの驚きでもある。
日本における創作オペラ上演が一度には数回しか可能でない状況から見ると、日本のオペラ運動の上にも意義をもつものと、わたしたちは自負している。
ではなぜ、このような状況が歌劇第2次公演に出現したのであろうか。
和歌山市では、市内から5時間もかかる実家へ、自分が出演するオペラだといって出かけ、家族ぐるみで聞きにきた。
西宮市では、歌劇のポスター張りに出た一青年が逮捕されたことに対する釈放のための行動が起こされた...
長野市では、盲目の一青年が、音楽センターがだした『沖縄』のレコードを聞き、ぜひ同じ境遇にある青年たちに聞いてもらおうと、その解説を点字に打ち、一人ひとりをまわって60人もの盲人を組織したこともある。
また、津市では高校生が中心となって各校によびかけ、60人を組織しただけでなく、当日の裏方までを引きうけてくれた。
函館市では、函館ドックの労働者が春闘の職場討議とあわせて歌劇参加を討議し、大量の参加と男声合唱を見事にうたいあげ、青森の東北電工の労働者も、海をこえて、この演奏にかけつけてきてくれた。
福岡市では、中小企業の社長が『沖縄は日本人全体の問題だ』といって、十数人の社長を組織して聞きにきてくれた。
京都の蜷川(虎三)知事は資金融資を提供し、
大阪の黒田(了一)知事以下、各市長は数十万円の援助金を提供してくれた。
こうして北九州市では、放送局や新聞社が事務所や練習会場を提供し、
北九州・長野・兵庫・千葉・東京では、テレビ・ラジオによってこの内容が報じられ、
「朝日」「毎日」「中日」などのほか各地方紙は、こぞってこの記事をとりあげるにいたったのである...
また、今回の歌劇公演の一つの特徴として、共産党 と民青が、聴衆の組織に積極的役割を果たしていたことがあげられ、広範な人びとと深く結合して多面的、総合的な活動を着実にすすめていることを感じさせられたのである...