一、はじめに
[略]
ニ、うたごえ運動の始まりとその基本的な性格
[前略]
以上の歴史が示すように、うたごえ運動は、専門家および大衆的創作活動と結び協力して、平和で健康な歌を全国民に普及することを目的とした、合唱のサークルを基盤とする大衆的で民主的な音楽運動として進められ、そのことによって発展してきた運動です。
したがって今後も、普及の活動は、うたごえ運動の主軸になるものです。
すべての運動参加者が普及活動を重視して積極的に取り組むことは、運動の成否を決めるカギとなります。
三、問題点と今後の方針
日本のうたごえは、1960年以後、「一千万人みんなうたう会運動」と名づけた普及・組織活動の方針を中心とした、創造・組織の総合活動を進めることを打ち出しました。
この方針のもとに、創作・演奏・郷土の歌と踊り・器楽などで、教育活動が積極的に取り組まれ、それまで運動の中で蓄積された、経験・理論・メソッドなどが全国的に普及され、中心合唱団や活動家の技術水準も急速に向上し、専門的力量をもつ部分も生まれてきました。
このような結果、1970年から72年にかけて、歌劇「沖縄」が制作・上演されるというような成果を生み出すほどになりました。
そして、中心合唱団や活動家の技術水準の高まりは、各合唱団の定期演奏会や、日本のうたごえ祭典でのコンクール形式による各種発表会に向けて、各合唱団や団員が競い合うという方向を強めました...
しかし、そのことは、同時に、中心合唱団や活動家が、しだいに自分自身の練習や演奏会、組織運営上の問題に大きなエネルギーを割いて、それ自体を自己目的化し、活動に占める普及の比重が以前より相対的に小さくなって、普及活動を重視する方針を出しながら、これが十分には進まない、という事態を生み出しました...
このような弱点を改め、運動の基本的な性格をもっと鮮明にし、全運動参加者が、平和で健康なうたごえを全国民に広げていく活動が、今こそ大切になっています。
この点から、次の活動を進め、この中で弱点や欠陥を大胆に改めていきましょう。
...国民の生活と闘いということを狭くとらえ、たとえば、ストライキやデモなど、直接的な政治課題・闘争課題に応える部分が強調されて、それに役立たないものは「労働者的」でない、というような狭い考え方が、私たちの間にありました...
こういうことから、「敵」が明らかにされていない歌は軽薄で、うたごえの歌としては役立たないのではないかとか、絶対平和主義的な歌は、平和の力にはならないから、歌わないほうがいいのではないか、というような議論もありました...
さらに、一つの歌で何もかも言い尽くすことを要求したり、性急に、「この歌は労働者的でない」とか「マスコミ的だ」とか、日和見主義的だとかのレッテルを貼っていくようなこともありました。
これからは、創作や演奏においても、一つの表現方法を固定したりせず、クラシック・ポピュラー・フォーク・民謡・歌謡曲など、多様な表現方法を追求し、大衆の要求に正しくこたえていく必要があります。
そして、何らかの意味で平和で健康的な要素をもっている歌は、可能な限り広く取り上げて歌いひろめ、多くの人びと要求に応え、民主主義と平和への気分・感情・思考を広げ、高めていくという努力を、もっと大切にしていきたいと思います。
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...ここ数年の合唱発表会の参加数を見ても、職場や地域におけるサークルの減少と、その人員の減少があります。
これは、60年代に強まった、サークルに対する官側・企業側の圧迫などにもよります...
これが減少していった原因には、運動内部でサークルを重視し、これをつくる運動が弱まったという、主体的な問題があったということを、認めなければなりません。
さらにこれは、第一・第二にあげた原因とも結びついていますが、性急にサークルに専門的技術や労働者意識を要求したり、楽しみを求めているサークル員の要求に合わないやり方、多くの人びとの好みや要求の変化に即応しない活動や運営方法に、もう一つの原因があります...
① かつて古い活動家の間には、専門家は、官側・企業側の攻撃に妥協的で、国民の真の音楽要求には応えられないものだとか、主人公は国民大衆だから、専門家はこれに従属すべきものだとかいう、誤った考え方がありました...
...日本の音楽の真の発展も、うたごえ運動をはじめとする大衆的・民主的音楽運動と、楽壇における専門家の民主的な諸活動との結合なしには勝ち取れないことも明らかです。
にもかかわらず、“労働者が主人公である” ことを誇示するこによってセクト的・排他的になり、専門家との協力を狭めることは、運動にとって大きなマイナスと言わなければなりません。
うたごえは、労働者がこれからの歴史の創造の担い手であると考え、その歴史的役割を重視しますが、それだからこそ、労働者の立場をかえって傷つけるような、私たちのこのセクト性や排他性をなくしていかなければならないと考えます...
② うたごえと労働組合とは、当初から友好的関係を広げ、職場のうたごえの普及に協力・協同してきました...
一部の労組との不正常な関係は、1964年の春闘のゼネストをめぐる意見の食い違いから、一部の労組員が組合から除名されるという事態から始まりました。
直接のきっかけは、仙台で開かれた第9回全電通のうたごえ祭典の開催をめぐって起こりました。
この祭典に全電通労組幹部は、除名した組合員を祭典から締め出そうとしました...
労組側はあくまで排除を主張して、それがいれられないと、一方的に祭典中止を通告してきました...
私たちのこの問題にたいする対処にも、狭さがあらわれ、必要以上に対立を深くさせるということがありました...
労組との関係をもっと大きな連帯の観点でとらえ、話し合いを深めて慎重に対処する点で、不十分なところがありました...
これは、サークルが自主性を一方的に踏みにじられたことに起因するものではありますが、同時に、うたごえとしての適切な対処ができなかったことや、セクト的考え方から生じたものでありました。
この点を正して、平和で健康なうたごえをもっと職場に広げていくために、サークルを強化し、発展させる立場から、労働組合との協力を粘り強く進めるよう、一層の努力をしていきたいものです。
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...この組織化の成功のため、ぜひとも留意しなければならないのは、先にも述べましたように、
① レパートリーはあくまでも大衆の要求を重視して選曲し、歌謡曲などについても、はじめからこれを歌わない、というような、かたくなな態度をとらないこと。
② 合唱技術の向上を、性急に押し付けたり、要求したりしないこと。
③ 何よりもまず、楽しく歌わせ、またそのように指導すること...
...今日の日本音楽文化における最大の課題は、米日反動勢力の日本音楽文化の破壊と退廃、反動化に反対するすべての人々と手をとりあって、日本音楽文化の民主的発展を勝ち取ることにあるのであって、労働者の新しい音楽文化をつくっていくことは大切ですが、そのことだけで、この課題が達せられるものでないことは明らかです。
しかし、ともすると、うたごえ運動は労働者の音楽文化だけを建設する運動であるかのように捉えて、運動全体を矮小化してしまう考え方が根強く残っています。
...国民全体の願う日本の音楽文化の民主的発展に、労働者が積極的に取り組んでこそ、その役割はもっと輝かしいものになっていくのです。
ですから、うたごえ運動を、労働者の音楽文化建設の運動に限定して捉えようとするような、狭い考え方は取り除かねばなりません...
1950年頃の民主的文化運動の一部には、「真の民主的な文化は、ただ労働者の間からのみ生まれてくるのであって、ブルジョア的、小ブルジョア的なインテリゲンチアの間から生まれてこない。したがって、我々の文化活動は職場に集中すべきである」といったような、誤った理論がありました。
これは一見、労働者こそ日本文化建設の主人公であり、労働者の役割を重視した理論のように見えて、じつは広範な他の階層と労働者を対置してしまい、専門文化人と労働者を対立させ、労働者自身をも孤立させてしまう理論でした。
ましてや今日、日本音楽文化の民主的発展や政治の革新が、広範な革新統一の力でなければ出来ないし、それが一日も早く実現されることが、国民の大多数から要求されている時には、まったく有害な考えとしか言えません...
[後略]
(「うたごえ新聞」1974年3月10日付 第4面からの複写画像)
“この総会に参加して、いままで自分の体にこびりついていたアカがきれいに洗い落された気がします。”